日本郵便株式会社の鍋倉眞一社長(左)と、内装デザインを手掛けた隈研吾氏。ロゴマークには、日本郵便を象徴する赤色が使われている


東京・丸の内の旧東京中央郵便局敷地に立つJPタワー内の商業施設について、10月23日、概要が発表された。

JPタワーは、地上38階、地下4階、高さ約200mの高層ビル。日本郵便がJR東日本、三菱地所とともに進めてきたプロジェクトで、今年5月に竣工した。設計は三菱地所設計、施工は大成建設。
その地下1階から地上6階が商業施設になる。名称は、「切手」と「来て」の意味合いを込めて「KITTE(キッテ)」。オープンは、2013年3月21日だ。約9400平米に98店舗(物販71店+飲食27店)が出店する予定だ。


高さ約200メートルのJPタワー。低層部7フロアに商業施設「KITTE」が入る

小誌「月刊商店建築」としては、やはり各フロアのテーマと空間デザインが気になるところ。
「KITTE」の内装環境デザインを手掛けたのは、隈研吾氏。日本各地でつくられた自然素材を用いて、「光の空間」「線の空間」「記憶を紡ぐ空間」をコンセプトにデザインした。
個別のテナントについてはまだ発表されていないが、各フロアの特徴は以下のとおり。

〈6階〉
地方の名店を集めたレストランフロア。福岡県久留米市のナラ材を用いた「柔らかい木の空間」。1500平米の屋上庭園も備えている。
〈5階〉
「我が町自慢の食」をテーマにした飲食店フロア。クリ材を用いた「繊細な線でできた木の空間」。
〈4階〉
「日本の文化発信」をテーマにした物販店フロア。金属塗装を用いた空間。
〈3階〉
「日本の美意識」をテーマにしたファッション雑貨中心のフロア。織物を用いた空間。
〈2階〉
デイリーファッションフロア。愛知県西三河地方の三州瓦を用いた空間。
〈1階〉
「新しい日本」をテーマにして集められた店舗が並ぶ。特徴的なのは、保存部分と新築部分に囲まれた、ガラス天井のアトリウム空間だ。天井から八角形の柱上にボールチェーンを吊り、隈氏の説明によれば、昼は自然光で夜は照明の光で異なる表情を見せる。北海道旭川のサクラ材も使われている。
〈地下1階〉
全国各地の特産品、スイーツ、惣菜などを集めた食品物販フロア。和紙の空間。


天井からボールチェーンが吊られた1階アトリウムの完成予想図。 提供/日本郵便(以下※印は同様)


2階デイリーファッションフロアの完成予想図。瓦を用いた空間(※)


3階ファッション雑貨フロアの完成予想図。織物を用いた空間(※)


4階物販店フロアの完成予想図。金属塗装を用いた空間(※)


5階飲食店フロアの完成予想図。クリ材を用いた「繊細な線でできた木の空間」(※)


6階飲食店フロアの完成予想図。ナラ材を用いた「柔らかい木の空間」(※)


6階の屋上庭園完成予想図(※)

日本各地の素材を用いて、各地を「つなぐ」ことがコンセプトになっている。
また、仕上げ材に限らず、JPタワーはさまざまな意味で「つなぐ」施設という位置づけだ。

丸ビルの竣工から10年が経ち、その間、新丸ビル、東京ビル、丸の内オアゾなどが竣工し、「JPタワーはラストワンピースだった」(日本郵便株式会社の不動産部長 野村洋氏)。そうした街並みをつなぐと同時に、地下通路のネットワーク(国際フォーラム→東京ビルTOKIA→JPタワー→東京駅)もつなぐ立地だ。
また、低層階には、KITTEの店舗群だけでなく、国内外からの旅行者のための観光情報センター、東京大学との産学連携によるミュージアム、そして国際会議などに対応するカンファレンスルールやミーティングルームが入る。それらも「つなぐ」機能を持つ施設と言える。
 
JPタワーは、日本郵政グループの大規模な不動産事業として第一号となる。日本郵便株式会社の鍋倉眞一社長は「今後もこうしたプロジェクト(自社所有土地を有効利用した不動産事業)をやっていきたい」と話した。既に名古屋と札幌でもプロジェクトが進行しているという。
 
 
 


東京中央郵便局創建時の外観(※)

ところで、部分的に保存されたこの東京中央郵便局というのは、どんな建物なのだろうか。
竣工は1931年。逓信省(現在の日本郵便やNTTにあたる通信関連を管轄)の営繕課に在籍した吉田鉄郎によって設計された。大阪中央郵便局も吉田による設計だ。
『近代建築史』(鈴木博之編著、市ヶ谷出版社)によれば、東京中央郵便局は次のように説明されている。
「それまでの様式主義的デザインを脱し、材料・機能・日本的表現を一体化した建築として高く評価された。窓を大きくとって採光を考え、駅前広場に面する壁面を抽象的でありながら、小区画の対称性の組合わせとして、緻密にまとめ上げている」(P.175)
様式性や装飾性を排し、機能性や抽象性に着目した、近代合理主義の発想に基づく建物と言える。
 
では、この建物が竣工した1930年頃とは、建築の世界にとってどんな時代だったのか。ヨーロッパでは、サヴォア邸(1931、ル・コルビュジエ)やトゥーゲントハット邸(1930、ミース・ファン・デル・ローエ)が建てられていた。アメリカでは、ニューヨーク近代美術館でフィリップ・ジョンソンとヘンリー・ラッセル・ヒッチコックのキュレーションによって「近代建築展」(1932)が開催され、コルビュジエ、ミース、グロピウスらの建築が紹介された。大雑把に言えば、世界のあちこちでモダニズム建築がつくられ、それらに一定の注目が集まった時代だ。
東京中央郵便局は、そんな時代に生まれた、昭和初期のモダニズム建築の代表作である。
 
それでも、収益性という観点で見ると、東京駅前の超一等地で存続するのは難しかったようだ。では、こうした高層ビル化による再開発は、どのくらいの収益を生み出すのだろう。
東京中央郵便局の超高層ビル化にともなう利益について、日本郵政による説明を評論家の松山巌氏が『近代建築論講義』(鈴木博之+東京大学建築学科編、東京大学出版会)の中で次のようにまとめている。
「外壁だけを保存し超高層ビルを建設すれば、年間賃貸収入は三〇〇億円で毎年一〇〇億円の利益が上がる。現状保存ならば、使わない容積率を空中権として売っても一二〇〇億円。二つの方法を比べると超高層ビルを造る方が得策だと説明した」(P.110)
たとえ長年に渡り街の顔の一つとして親しまれてきた建築物と言えども、それを取り壊して高層ビル化した方が収益性が上がるのならば、そうしようと考える人が多くいても不思議ではない。というのは、今日でも私たちは、東京中央郵便局の建築を生み出す背景となった“近代合理主義”の世界観の中で生きている(ここ数年はだいぶ変わってきたけれど)。その世界観に立脚する以上、“経済合理性”にも高いプライオリティーが置かれることになる。
そんなわけで部分的には保存しつつ超高層ビル化されたわけだが、2009年に鳩山邦夫総務相(当時)が再開発計画の見直しを迫り、保存部分が拡大されたという経緯は多くの方々の記憶に新しいのではないか。
 
こうした建物は、どの程度保存すべきなのだろうか。保存するとすれば、経済合理性に抗する何か別の価値観で取り壊しに反論すべきなのか。それとも、「超高層ビル化することの効用」を「保存することの効用」が上回るということを、経済合理性の観点から算出可能だろうか。
いずれにせよ、このプロジェクトは、付近に立つ東京駅舎や三菱一号館などの建築物と合わせて、私たちに建築や街並みの保存・復元に関する議論のきっかけを提供してくれそうだ。〈塩田〉


両翼のドーム部分などが復元された東京駅と、来春に商業ゾーンがオープンするJPタワー。東京ステーションホテルも鋭意取材中ですので、どうぞご期待ください!!



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